徒然

統合失調症オタクメンヘラの戯言

「死にたい」について

今日はメンヘラが言いがちな「死にたい」について考えてみようと思う。

いまやメンヘラはどこにでもいる時代、一億総メンヘラ時代である。
誰もがツイッターで「病む」を連発し、ちょっと調べればアララリスカ画像まで! 出てくる始末である。
「病む」のはメンヘラに限った話ではない。一般人というか、健常者というか、そういった彼らまでもが気軽にツイッターで「死にたい」と言う。

辛気臭いな!
生きてりゃいいことあるよ!

と言っても、「黙れ偽善者」と言われるのが関の山。
いやでも、死にたいだなんて言葉をそう簡単に使っちゃいけないよ! と一介のメンヘラたるわたしでも思うのだが、生憎世間様はそうではないらしい。
どうでもいいが、ツイッターで「死にたい」「メンヘラ」「病み垢」で検索をかけると、いのちの電話の電話番号が一番上に表示されることを知ったのは結構最近の話だ。

というわけで、どうすればメンヘラ達が「死にたい」の気分から抜け出せるか、わたしが経験則に則って提案したいと思う。

ずばり、推しキャラクターを作ればいいのだ。

……なにを言ってるんだ、と思った方もいるかもしれない。
そんなことで俺わたしのこの苦しみが救われるとでも思って!? と思ったメンヘラさんもいるかもしれない。
だが、なんの根拠もなく言ってるわけではない。
なぜなら、わたし自身が、その方法で襲いくる希死念慮から解き放たれたのだから。

たとえば、ここに渚カヲルくんがいるとする。
わたしが「死にたい……」と言ったとする。
でも、きっと、渚カヲルくんは
「そんなこと言わないでよ、君の命だって尊い命なんだから」
とかなんとか言うに違いない(多分)。
すると、ほら、どうだ。
「ひょっとしてわたしの命って尊い!?」
という気持ちになれないだろうか。わたしはなるのだが。
渚カヲルくんにそう言われりゃ、死ぬわけにもいくまい。
よってわたしは生きる決意をかためるのだ。
数年間わたしを襲った希死念慮は、渚カヲルくんと同居しているというハチャメチャ妄想によって、あっという間ではないが徐々に霧散したのだ。
いや、これお前が単純すぎるんじゃない? と思われたそこのあなたは正しい。
しかし、単純だからこそ誰にでも実行できて、ハッピーな気分になれるかもしれないのだ。

二次元でも三次元でもいい、推しを作って、推しのために生きているのだと思えば、苦しみがなくならないにせよ、少しだけ軽くなることもあるかもしれないじゃないか。
「死にたい」という気持ちに囚われると、なにもかもが敵に思えるし、安い同情はぶっ殺したくなる気持ちもわかる。
けれど、そんな荒んだ心で生きていくだなんて、あまりにも酷だ。
酷なことを強いられる環境にいるのかもしれない。事情があって、そこから抜け出せることができないのかもしれない。
でも、だからこそ、心の拠り所を見つけて、「死にたい」にとらわれないようにすれば、少しだけでも心が軽くなるのではないかと思うのだ。
人間が「死にたい」とまで言う深刻な悩みがあったとして、心の拠り所もなくて……は、地獄すぎる。

わたしがまだ統失陽性症状バリバリだった頃は、ツイッターで病み垢なるものを作っては消して、を繰り返していた。
切った血塗れの腕の写真をツイートするメンヘラもいた。
いったいどんな気持ちで自分のことを傷つけているんだろうか、と思った。
それは本当につらいことがあったんだろうな、今ものすごくつらい思いをしているんだろうな、と思った。
わたしにだって。
わたしだって、なりたくもない病気にかかり、普通の暮らしができなくなって、一度は自殺を考えた。
けれど、幸いにして、わたしはオタクだったから。
それも、重度の夢女だったから。
わたしには、渚カヲルくんがついてるから。
わたしは死なずに済んだのだ。

メンヘラの全員がオタクなわけではないから、広くおすすめできる方法ではない。
けれど、オタクメンヘラは、自分の推しが自分に生きててほしがってると、そう思うことで、少しばかりは元気になれないだろうか。
一般人のオタクだって、学校に仕事にと大変だろうが、推しのことを考えると頑張れる、という人はいるんじゃないだろうか。
くだらないことだけれど、推しのために、という気持ちで生きていくことはできないものなのだろうか。

なんだか支離滅裂な文章になってしまったが、つまるところ、わたしはツイッターでたくさんの人が「死にたい」とツイートしていることに寂しさを覚えるのだ。
まだ学生で、わたしよりもうんと若い人間が、死にたいと毎日言っている。
ツイッターはモラルに反しない範囲で自分の言いたいことを言うツールなので、言うなとは言わない。言えない。
ただ、「死にたい」の代わりに、「今日も俺わたしの推しキャラクター推しアイドルはかわいかった!」と言える人が増えればいいのにな、と思う。

わたしも地獄を経験してきたし、今も地獄の最中にいる。
わたしは、渚カヲルくんがいなければ、とっくに死んでいたかもしれない。
でも、渚カヲルくんだったら、わたしに「生きて」って言うだろうな、と思ったら、ちょっと頑張って生きてみるか、という気分になったのだ。
冗談でもふざけているわけでもなく……本心からそう思ったのだ。

繰り返すが、「死にたい」とツイートすることが悪いことだとは思っていない。
吐き出し口も必要だと思っている。
わたしには、死にたいとツイートする彼らに対して、具体的にどうしたら救われるかを教えることはできないから、こんな辺境の地にあるブログでこそこそ書くことしかできないが、それでも、若い人間が、働き盛りの人間が、毎日死にたい気分で過ごすだなんていう地獄から解放されればいいなあと思っている。

長くなってしまった。
いやはや、本当に渚カヲルくんがいてくれてよかったと思う。

誰もが推しとラブラブできる平和な世の中になりますように。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村